ところで、今もスペインの南部アンダルシア地方でハモン(豚肉の塩漬け生ハム・・非常に美味かつビールとの相性抜群!!)が好んで食べられてきたのもこんな歴史が背景にあるわけです。つまり「俺達は、ハモンを食えるキリスト教徒だ。ムスリムではないよ。」と。この当時スペインにおいて迫害され追放されてイスラム教徒とともにモロッコに移住したユダヤ教徒は約10万人といわれています。もちろんイスラム教徒はもっと多数ですが。彼らユダヤ教徒はイスラム教徒による700年間のイベリア半島における各都市運営の中枢を担っていたんです。
モロッコに逃れたユダヤ教徒の多くはその後、といっても約450年後のことになりますが、前述のように、1948年のイスラエル建国によって1956年までに7~8万人のユダヤ教徒がモロッコを出てイスラエルに移住しました。モロッコには現在でも約1万人のユダヤ教徒が生活しております。もちろん現在ではモロッコの公用語であるアラビア語を話しています。モロッコ憲法の第一条には「モロッコの国教はイスラム教である」と記されていますがと同時に非ムスリムも尊重するとなっています。ユダヤ教徒には独自の身分法(婚姻、離婚、家族関係、相続等宗教と深い関係が残る部分の法律)とそれによる裁判が認められています。またモロッコでは現在でも時々「○○・アンダルーシィー」という家名の人に出会います。(スペイン語のアンダルシアと同義でもともとスペイン南部地帯の呼称。モロッコでは旧家名家となっています)これらの人はレコンキスタ後先祖がスペインのカトリックキリスト教徒の迫害から逃れてきたイスラム教徒やユダヤ教徒の末裔です。
思わぬ男の誘いから私の歴史研究がまた一段と深まった1000年都市の複雑な構造をした家の話でした。最後までこの話しに付き合ってくださった読者の皆さんありがとう。
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