ところで、私に話しかけてきたその男が案内してくれた家はそんな街中にありました。入り口には穀物を蓄える倉庫のような空間があり、もう出ないけど井戸もありました。内部はかなり広い家でした。前述の分類でいくと「うんと古い」という感じでした。そしてまた、「あれ?ここはふつうのモロッコ住宅じゃないな」という感じがしました。何かが変な感じなんです。その理由のひとつはその家が非常に複雑な構造をしていたからでした。おそらくは3階建て?!プラス屋上だと思うんですけど、途中に中二階や一階の下に半地下があったりするので迷ってしまうのです。しかも入り口から2階の広間に通じる階段が異様に狭く作られていて大人一人やっと通れるという狭さです。また各部屋には隠し部屋と隠しスペースがあって「なんだこの家は!この家の住人は何者だ!」と思わずにはおれない家でした。さらに内部に進んである部屋に来たときこの複雑な構造の理由がわかりました。ユダヤのシナゴーグ的なモザイクを施した作り付けの大きな棚が2つあったんです。それらは明らかにイスラムのモスクのモザイクとは異なります。しかもその大棚のそれぞれに50くらいマッチ箱くらいの引き出しがついていました。
この家はユダヤ教徒の商人の家で薬を扱っていたんですね。狭い階段も隠し部屋もそうです、いざというとき自分たちの身を守るためのからくりなんですね。この家の持ち主であった薬商人は1948年にイスラエルが建国されたとほぼ同時にイスラエルに移住したそうです。
「モロッコはイスラム教徒の国なのになぜユダヤ教徒がいるの?」と思われる方もあるかもしれません。
このユダヤ教徒商人たちは一体どこから来てどこへ行ってしまったんでしょう。 ご承知のとおり、モロッコとスペインはジブラルタル海峡を挟んで目と鼻の先です。高速フェリーで一時間です。隣同士の国なんですね、モロッコとスペインは。今を遡ること約500年以上前、1492年はコロンブスが新大陸を発見したとされる年でありますが、イスラム教徒とユダヤ教徒にとってはとんでもなくひどい年でした。というのもキリスト教徒によるレコンキスタが完成した年といわれているからです。カトリックキリスト教徒側から見れば約700年間に亘るイスラム教徒によるスペイン、ポルトガルつまりはイベリア半島支配に終止符を打ち、豚を食わないやつらをアフリカに追い返した栄光の年であるわけです。
続きがあるのか
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