Friday, September 20, 2013

山のハカリ

liberdade . freedom by António Alfarroba
liberdade . freedom, a photo by António Alfarroba on Flickr.
★幸いなことに偶然にも仙台の草分け的なレジェンドサーファーEさんと知り合いになってBBをはじめたのは2000年でした。
Eさんの家は亘理荒浜の海堤防のすぐ後ろにありました。以前は自宅にカフェもあって、海からあがった人たちが一服して団欒する場所でした。ここでもローカルはきついことはきついのです。。。。私がEさんと知り合いになり、さほど、嫌なこともなくここの海に入れるようになったのは本当にラッキーだったのです。
★Eさんからここの海のいろいろについて手ほどきをうけました。それは、、例えば、

「ここでは、ひとつの波に一人しかのれません。いい波がきたら、先に乗ってる人がいないかどうか確かめてください。」
「あそこの後ろに、冬の寒い日、すばらしい波がたつんです。水上スキーで引っ張ってもらって乗るんだけどね。」
「入るときはあの右の波消しブロックの脇から入って。あそこに離岸流があるから、すぐ沖にでられるよ。」
「波に巻かれたときは、抵抗しないでください。ひざを抱えて体を丸めて、波にもまれてください。そのうち浮いてきますから。」
★その中でも、とくに印象に残ってる口伝があります。
「海の上での位置確認は、陸を見てください。山でもいいですが、ここではあの青い屋根の家をみてください。海にでたら、自分の位置を時々確認してくださいね。知らないうちに流されますから。」
★貴重なナレッジの口伝を受けたおかげで、ここ、亘理荒浜の海がお友達になったのですが。。。大津波で大分様子が変わってしまいました。
★本日、「漁撈伝承(ものと人間の文化史)川島秀一」 を読んでいたら次のような記述があってうれしい気持ちになりました。近海漁のはなし。宮城県気仙沼市小々汐村では、新年その年最初の漁に際して、海に船を出した後「山のハカリが見えますように」と念じて、山に向かって拝むというのです。動かぬ山の位置を利用して、絶え間なく動く海原で、自分がどこにいるのか把握したんですね。

なぜ、漁師が海上から山の神様を拝むのであろうか。それは、「山ハカリ」という一種の完成された技術によって、広い海上に自分の位置を定め、操業の手だてとしていった者の、山に対する感謝と祈願の表現であった。
。。。。現在でも、魚群探知機によって「根」を捉えることができても、微妙な一点に船を移動させるには、山を見るしかない。いわば、体ひとつで距離を測るような原始的な方法が、高度な機械化を底から支えたのである。


★自分がEさんから受けた口伝が思い出されました。口伝、口頭伝承の世界が、このIT万能の世界にしっかり生きていることを示す例を見つけて、うれしい気持ちになったわけです。



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