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Tuesday, April 1, 2014

春乃隅田川


本所深川の江戸下町、春になって気持ち前向きです。

Friday, March 21, 2014

津軽海峡線 

青函トンネル通過します。
北海道新幹線来年開通予定です。

特急スーパー白鳥、車内に函館朝市磯の香りが漂います。

誰か土産品にカニでも買ったのでしょうか?

15:56 今出発しました。

Saturday, March 8, 2014

Paco De Lucia , adios

Paco De Lucia @ NJ PAC by Savage Habbit
Paco De Lucia @ NJ PAC, a photo by Savage Habbit on Flickr.
パコデルシアがなくなりました。2014年2月26日で66歳だそうです。

中学か高校か、「地中海の舞踏」で初めてパコデルシアを知ったとき、あの3人のなかでも一際、光って、異彩をはなっていました。

僕らが知っているいわゆるクラッシクのガットギターでめちゃめちゃかっこいいフレーズをひいていました。

それまで、フラメンコを知らないかった私がそれからアンダルシア、フラメンコ、ヒターノの世界に触れていったのでした。

そして、1989年に初めてセビリアでタブラオ
フラメンコにいったり、ぺぺの店でフラメンコやセビジャーナスを聞いたのでした。

パコさんは、シルヤブもとりあげていました。さすがアンダルースに根っこがある人だと感じました。

指の長さが全部同じ、普通のギターひきは爪をコーティングするが、パコさんはいつも生爪で、テーブルクロスも「ぴヤーっ」と引き裂けるほどだと誰かがレコードノーツに書いていました。

高校の時は、フュージョン全盛でしたが、そこから一人抜けてスペインフラメンコの世界にはまっていったのです。

それは、その後すきになるジャズよりも早い出会いでした。小生の音楽鑑賞世界にスペインアンダルシア、そしてフラメンコをもたらしてくれたパコさん、アディオス。

Saturday, February 1, 2014

上野 不忍池

2014年正月です。

右奥が根津方面、左が湯島方面、手前が上野駅方面、高層マンション奥が東大病院。

水質改良工事のおかげでしょうか。最初にみたときより綺麗になっているような気がします。

うみ猫がたくさんいます。

交番の前にミニストップがありますが、100円コーヒーが美味しいです。大概のコンビニ100円コーヒーはは、水がよくなくてまずいのですが、ここのミニストップの100円コーヒーは比較的美味しいです。

奥のキッチンで作って、専用ポットにいれている形式なのでシンプルかつ旧式なのがいいのかもしれません。100円ならここの店はよいと思います。

 

Thursday, January 30, 2014

上野池之端 洋館

上野池之端 洋館庭園
元の敷地は、越後高田藩榊原家の中屋敷だったそうです。隣は加賀藩前田家です。

内部の装飾金唐革紙、復元だが素晴らしい作品でした。かつての日本の主力輸出品です。当時は輸出品の第5位だったそうですが。

各部屋に暖炉があります。最初、石炭その後ガスになったそうです。廊下にはスティームがあり、地下にはボイラー室があるそうです。

室内は撮影禁止なので外観だけお伝えします。この洋館のほかに和館があります。


敷地は現在の3倍あったということです。入館料は400円です。2時間くらい過ごしました。

上野周辺ではよくくつろげる場所です。

注意!隣に全く色気のない建物がたっていてそのセンスの違いに愕然としますよ。



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Thursday, December 12, 2013

The taste of a dripped coffee

The taste and aroma  of the dripped coffee depends on how much time passed  from its roast and milled coffee beans.  It means that the shorter its period from roasted and milled, the better its dropped coffee has taste and aroma. So to tell the truth it doesn't matter the name of coffee beans as a brand. Clearly  it is a kind of a commercial strategy of a coffee company. People care too much about that to find the important point as I mentioned.


Friday, October 11, 2013

おススメ!られない。おいしいが体に悪い紅茶の飲み方。

Chai by novon
Chai, a photo by novon on Flickr.
カスピ海の南の端に並んだタバレスタンの話をしましたが、今回はチャイです。マーザンダラーンでは「チョイー」なんて言ったりします。「チョイ カムラング」「チョイ ポルラング」なんて言ったりするとそれは、「薄いの」「濃いの」なんて意味になります。

カムラングは薄い色、ポルラングは濃い色、紅茶もそれは人によって好みがあるんです。カムラングを好む人はカムラングでいれてあげないと飲まないかったり。小生は、ポルラングが好きです。

「ダーグ モバーゼトバシ!」、「サルショド アバズコナン?」、なんていうと、「熱いから気をつけろ!」とか、「冷たくなったから交換するか?」などという意味になります。

熱い場合は、まず、カップからソーサ(受け皿)に少しづつ移して飲みます。ソーサでさますんですな。そして、「ガンド」これは、紅茶用の砂糖が売っています。円錐型のコーン見たいな形でうっているんですが、これをは専用のはさみでガツン!ガツンときって角砂糖にします。

ます、角砂糖を口に含んで次にソーサでさましたチョイを一口って感じで地元の人は飲みますよ。まあ、糖尿の人も多いですがね。こんな飲み方じゃ、そら、増えますよ、血糖値が。

Tuesday, October 8, 2013

大切!ラクダに乗る二つの秘訣

Morocco Excursions - Private Day Toursの写真
 by Tripadvisor


ラクダですが、これがなかなかのシロモノですね。口から泡を出して、「ぎゃー。ぐえー」と鳴きます。そして、立ち上がるときは、まず、たたんだながい後ろ足から起き上がるのでですが、乗ってる方は、ラクダのケツが突然持ち上がるので、前のめりになるわけです。ここで第一の秘訣。前についている木の取っ手をしっかりつかみましょう。前に転がり出るのを防げます。ここ

そして、次に、ラクダは前足を立てます。ここで乗っているひとは、今度はさっきと逆に後ろに大きく振られます。へたをこくと後頭部から地面に転がってしまいます。

ここで第2の秘訣です。前についている木の取っ手をしっかりつかみましょう。後ろに転がるのを防げます。

しかし、そうやって準備しても時に、転がってしまうことがあります。それは、我々のせいではなくて、取っ手の木がくさっていることがあるからです。

なにせ、ここいらのラクダはひとコブなので、コブの後ろにしか座れず、居座りが悪い上に、出発の合図がかかると振られるので、初めて乗るひとはそのへんに注意してください。

Friday, October 4, 2013

マラケシュ~コーラ釣り

なぞの東洋人がコーラ釣りに興じているが、ここは、フナ広場。店のおじちゃんが、笑ってる。

ルールは簡単。釣竿からたれた糸の先にドーナッツ状のゴム輪が付いている。ドーナッツなので真ん中に穴が開いているわけだ。

その穴に、下においてあるコーラやオレンジジュースのビンの飲み口付近、やや細くなったあたりを通し、吊り上げたら、あげるよっ。てなもんだね。

これが、なかなかむずかしいし、実は、無理なんじゃないかあ~と思うほどなんだが、なんか夢中になってしまう。

「オレならできるさっ」てなもんで、じじいから若者から、男から女から、地元の人から外国人観光客から、こんななぞの東洋人まで、一心不乱にビンコーラ釣りに、日没マグレブまで興じているのだ。

そして、日没後は、あの有名な屋台群で、アセチレン灯火に照らされて熱々になりながら、ケバブや羊の煮込みやモロッコエスカルゴを、みなの注目を集めながら、お箸とおしょうゆと七味でいただくのが一日の楽しみっていうもんよ。

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ジャバル・アッターリク → ジブラルタル、そして ジブラルタ生命。。。

Jabal al-Tariq (Gibraltar)
1992年はコロンブスが1492年新大陸を発見してから500年、セビリア万博の年でした。1492年といえば、また、レコンキスタが完了した年となっていますが、レコンキスタとは再征服という意味のスペイン語なんですが、高校の西洋史の授業で出てきたと思います。

クリスチャン勢力がイスラム勢力をイベリア半島から北アフリカに押し戻した年となっているのです。このあたりの事情は、チャールトン・ヘストン主演の映画「エル・シド」に、クリスチャン側から脚色されて描かれていますが、興味がある方は一度ご鑑賞ください。面白いです。

レコンキスタ・再征服というからには征服があるのですが、これは711年طارق ابن زياد‎‎ Ṭāriq ibn Ziyād ターリク ブン ジヤード がイベリア半島にモロッコ側から上陸し、イベリア半島全体をイスラム支配下におき、以後約700年間、イベリア半島はイスラム世界になるわけです。

その時代の名残は今もアンダルシア地方に、色濃く残っています。グラナダのアルハンブラ宮殿はとくに有名ですが、スペインのセビリアもそうです。ヒラルダの塔はかつてのモスクのミナレットですし、街全体もかつては、モロッコのメディナ同様、城壁に囲まれていました。今、一部だけ残っていてイスラム支配下の旧市街の雰囲気を残しています。

写真はジブラルタルをスペインのアルへシラス側から見たものですが、この場所が、ターリクさんの上陸地点となったので、ターリクの山という意味でジャバル・アッターリクとアラビア語で史実に現れました。その後、スペインクリスチャン勢力がレコンキスタを完了させ、時代が下って、いつしか、最初の意味が失われ、音だけが残り、ジャバルアッターリクがジブラルタルに転訛した上に、今はここだけイギリス領です。最近日本では、ジブラルタ生命がこの山のデザインを使っていますね。

セビリアを流れるグワダルキビエールという川も元は、アラビア語で、ワジ・カビール 大きな川という意味だったのですが、時代が下って、こちらも意味が失われ、転訛してスペイン語になりました。
ここからコロンブスが出奔し1492年新大陸発見したといわれているのです。




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Thursday, October 3, 2013

ニッチ!誰も行かない場所の情報。タバレスタン

Forest by d o l f i
Forest, a photo by d o l f i on Flickr.
タバリ(レ)スタンは今のマーザンダラーン、ギーラーン、ゴレスターン、北部セムナーン、トルクメニスタンの一部を含む地域で、カスピ海の南の海岸線に並んだ地域です。

歴史上特色は、イスラム勢力に一番最後まで抵抗し、一番最後にイスラム勢力下に組み込まれた。ウマイヤもアッバースも最後まで攻めあぐねた地域です。今いこうとしてしてもアルボルズ山岳地域を抜けなければならないので道が険しいのです。

砂漠のイメージがあるイランですが、カスピの周辺は鬱蒼とした森林、ジャンギャールと地元の人は言いますが、砂漠から見れば全くのジャングルのようなものでしょう。

言語的にも、現代ペルシャ語と異なるマーザンダラーン語(又はタバリー語)の単語は大分違う印象を受けました。

家はペルシャ語では「khone」ホーネ(ホは喉の奥からでるハのようなホのような音)というんですが、タバリーでは「セレ」というんです。全然違う。ペルシャ語でお腹のことは「シェカム」といいますが、タバリーでは「ベティン」です。

そして、タバリー語を使うとみんなゲラゲラ笑うんです。面白いですね。今までしかめっ面していた警官とか役人とかお店の人とか通りの人までみんな「ゲラゲラ」です。

おそらく、日本に来た外国人が東北弁を使ってるような感じでしょうか?とにかく、受けて受けて、その場が一変します。まあ、しかし、「おらほのことば」なので「テヘランでは話すなよ」とよく言われました。

「ありがとう」はタバリー語では「ティヘ ノベ ドゥーン」です。

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Wednesday, October 2, 2013

商売の秘訣!モロッコのリヤカーおじいさんに学ぶ

在モロッコの日本国大使館がラバトの国連通りから現在のバラフラジ通りに移転したのは1997年のことでした。引っ越しというのはどこの世帯でも大変なことだと思いますが大使館の引っ越しも国が管轄することですからなかなかの苦労があったのです。

ところで、バラフラジ通りはスゥイッシーという住宅街のいわば入り口に位置しているんですが、周りに商店がありません。この辺りの人は皆車を2,3台もっていて郊外型のスーパーマーケットに買い出しに行くわけです。

新大使館建屋を建築中のことですが、新建屋は白亜の建物で夕日映えして、それはマグレブにはぴったりなのですが、周りに商店がありません。建築現場の技術者及び職人さんは昼食に困るのです。まあ、お金のある人は車できますが、ほとんどはバスやトラック荷台に便乗です。

もちろん、賃金も安いので昼食といってもパンをかじるくらいなのでしたが、それも買えません。

すると、どこからその状況を知ったのか、一人のおじいさんが人力リヤカーの荷台にいっぱいの菓子パンを積んで通りの向こうで待機するようになりました。むろん、荷台のパンは、あれよ、あれよという間に売り切れたのでした。

そのようにして、次の日も、次の日もおじいさんは一人でリヤカーを引いてきました。

建築はというと、モロッコでは当たり前ですが、工期が伸びるのです。それでも、担当官は頑張ったと思います。モロッコの職人を使うのはそれはそれは、大変だったでしょう。工期が伸びれば、伸びるほど、おじいさんは儲かっていったのです。

やがて、建築が実際に始まってから1年くらいはゆうに経過したと思いますが、落成式間近には、リヤカーがトラックになり、子供の助手も雇うくらいになっていたのでした。
リヤカーおじいさん、バンザイ!

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Tuesday, October 1, 2013

みどりのくろかみ / the brilliant black color of your hair

Green by Bahman Farzad
Green, a photo by Bahman Farzad on Flickr.
美しい黒髪のことを『みどりの黒髪』と言ったりしますが、この『みどり』、色を表す『緑』ではないようですよ。「みどりは、そもそも色を意味する言葉ではな、新芽や若い枝そのものを指した」とのことをいうんだそうです。
島崎藤村という人が「若菜集」というのを書いてたと思いますが

 きみがさやけき

めのいろも

きみくれなゐの

くちびるも

きみがみどりの

くろかみも

またいつかみん

このわかれ

嫁ぐ日の若く美しい妹におくったうただそうですが、いまよんでみたら、ちょっとグッときます。。。『みどりの黒髪』は若々しさと美しさをあわらす言い方なんですね。

Tōson Shimazaki
Tōson Shimazaki (島崎 藤村 Shimazaki Tōson, 25 March 1872 – 22 August 1943) is the pen-name of Shimazaki Haruki, a Japanese author, active in the Meiji, Taishō and early Shōwa periods of Japan. He began his career as a romantic poet, but went on to establish himself as a major proponent of naturalism in Japanese fiction. by wiki
He sent this poem to his sister who is going to leave family to marry.


the bright color

 of your eyes

the deep red color

of your lips

the brilliant black color

of your hair

Someday, may I see again ?

this touching parting

between you and I

verse of poem is translated by author 



五稜郭 Goryōkaku

またぞろ、小学校の話ですいませんが、函館の五稜郭はとても印象的でした。なんでこんなきれいでイカシタ形のモノが北海道の函館にあるのかとおもっておりました。

とにかく、デザインが日本的でないし、広陵とした大地にここだけ、異空間のような感じがしていたのです。そしたら、やっぱり、これはヨーロッパのリョウホ式の要塞建築をここ北海道に移植したものだとわかりました。

2月の函館/2013 
そして、残念ながら、この当時でも、もう古い形式だったんですねぇ。砲撃技術の方が格段に進歩したんでしょうか。。。

一番の問題としては、既にヨーロッパでもこのような稜堡式の築城様式は、いささか旧式化していたことである。堡塁を重ねるのは小銃を防御兵器として用いるための方式であり、当時のヨーロッパでは大砲を掩体壕に据えての防御へと移行しつつあった時期である。現に同時期の普仏戦争において、フランスの稜堡式の要塞はプロイセン王国軍に簡単に突破・攻略され、要塞形式として旧式化していることを露呈していた。稜堡式の陣地を築いた例は近現代でもあるが、あくまで野戦築城であり、恒久的な要塞としての築城例は無い。ちなみに同時期に東京湾に築かれた台場は、大砲を用いる要塞施設である。ウィキペディア

どうりで、デザインがヨーロッパ的だったわけだ。

2月の真冬の北海道函館は一度行ってみたかったのです。レンタカー借りなくてよかった。とてもじゃないが運転できなかったでしょう。ドリフトさせながら運転というのは地元に育ったひとでないとできないかも。。。

It was very cold winter,-10 degree Celsius, at Hakodate Hokkaido Feb.2013.I visited the fort 'Goryokaku' park near the center of Hakodate city in Hokkaido. It was the first trip for me.I have a good impression of a design of this fort from my childhood because of the same design as the design of an European castle.

Goryōkaku was designed in 1855 by Takeda Hisaburō. His plan was based on the work of the French architect Vauban.[1] It is shaped like a five-pointed star. This allowed for greater numbers of gun emplacements on its walls than a traditional Japanese fortress, and reduced the number of blind spots where a cannon could not fire.The fort was built by the Tokugawa shogunate to protect the Tsugaru Strait against a possible invasion by the Russian fleet.Goryōkaku is famous as the site of the last battle of the Boshin War (Goryōkaku no Tatakai). The fighting lasted for a week (June 20–27, 1869). by wiki
This picture was taken from Gyokaku Tower in Gryoukaku park. The fort shows beautiful shape.

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Monday, September 30, 2013

Pond Shinobazu In Ueno TYO

Pond Shinobazu
Pond Shinobazu in Ueno Tokyo,
According to the stone inscription on Benten Island, the area between the Ueno Plateau and the Hongo Plateau used to be called Shinobugaoka (忍ヶ丘?), and the pond just took its name from it, but there are alternative theories. According to one, the early name Shinowazu (篠輪津 Shino wa zu?) due to the presence of bamboo grass later turned into Shinobazu. Another claims the name comes from the habit of young men and women to meet secretly here. by wikipedia
In the deep night sometimes I take a walk around this pond to exercise. 30 minutes walk is very good to keep a condition of my body.

In the night as there are not so much streetlamps it is dark around this pond. If there were NY,doubtlessly, it must be appointed to a very dangerous area and not recommended to visit for travelers.

In TYO situation is very different. This is the best point of a secret meeting for lovers. There are a lot of bench around the pond, so everybody will spend a good time to talk with friend or lover over watching skyscrapers in Ueno TYO.


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Friday, September 27, 2013

Fes Medina 複雑な構造をした1000年都市にあった複雑な構造の家にまつわ る話 その5

Untitled by Nathan Watkins
Untitled, a photo by Nathan Watkins on Flickr.
ところで、今もスペインの南部アンダルシア地方でハモン(豚肉の塩漬け生ハム・・非常に美味かつビールとの相性抜群!!)が好んで食べられてきたのもこんな歴史が背景にあるわけです。つまり「俺達は、ハモンを食えるキリスト教徒だ。ムスリムではないよ。」と。この当時スペインにおいて迫害され追放されてイスラム教徒とともにモロッコに移住したユダヤ教徒は約10万人といわれています。もちろんイスラム教徒はもっと多数ですが。彼らユダヤ教徒はイスラム教徒による700年間のイベリア半島における各都市運営の中枢を担っていたんです。

モロッコに逃れたユダヤ教徒の多くはその後、といっても約450年後のことになりますが、前述のように、1948年のイスラエル建国によって1956年までに7~8万人のユダヤ教徒がモロッコを出てイスラエルに移住しました。モロッコには現在でも約1万人のユダヤ教徒が生活しております。もちろん現在ではモロッコの公用語であるアラビア語を話しています。モロッコ憲法の第一条には「モロッコの国教はイスラム教である」と記されていますがと同時に非ムスリムも尊重するとなっています。ユダヤ教徒には独自の身分法(婚姻、離婚、家族関係、相続等宗教と深い関係が残る部分の法律)とそれによる裁判が認められています。またモロッコでは現在でも時々「○○・アンダルーシィー」という家名の人に出会います。(スペイン語のアンダルシアと同義でもともとスペイン南部地帯の呼称。モロッコでは旧家名家となっています)これらの人はレコンキスタ後先祖がスペインのカトリックキリスト教徒の迫害から逃れてきたイスラム教徒やユダヤ教徒の末裔です。

思わぬ男の誘いから私の歴史研究がまた一段と深まった1000年都市の複雑な構造をした家の話でした。最後までこの話しに付き合ってくださった読者の皆さんありがとう。

Fes Medina 複雑な構造をした1000年都市にあった複雑な構造の家にまつわ る話 その4

ところで、私に話しかけてきたその男が案内してくれた家はそんな街中にありました。入り口には穀物を蓄える倉庫のような空間があり、もう出ないけど井戸もありました。内部はかなり広い家でした。前述の分類でいくと「うんと古い」という感じでした。そしてまた、「あれ?ここはふつうのモロッコ住宅じゃないな」という感じがしました。何かが変な感じなんです。その理由のひとつはその家が非常に複雑な構造をしていたからでした。おそらくは3階建て?!プラス屋上だと思うんですけど、途中に中二階や一階の下に半地下があったりするので迷ってしまうのです。しかも入り口から2階の広間に通じる階段が異様に狭く作られていて大人一人やっと通れるという狭さです。また各部屋には隠し部屋と隠しスペースがあって「なんだこの家は!この家の住人は何者だ!」と思わずにはおれない家でした。さらに内部に進んである部屋に来たときこの複雑な構造の理由がわかりました。ユダヤのシナゴーグ的なモザイクを施した作り付けの大きな棚が2つあったんです。それらは明らかにイスラムのモスクのモザイクとは異なります。しかもその大棚のそれぞれに50くらいマッチ箱くらいの引き出しがついていました。

この家はユダヤ教徒の商人の家で薬を扱っていたんですね。狭い階段も隠し部屋もそうです、いざというとき自分たちの身を守るためのからくりなんですね。この家の持ち主であった薬商人は1948年にイスラエルが建国されたとほぼ同時にイスラエルに移住したそうです。
「モロッコはイスラム教徒の国なのになぜユダヤ教徒がいるの?」と思われる方もあるかもしれません。

このユダヤ教徒商人たちは一体どこから来てどこへ行ってしまったんでしょう。 ご承知のとおり、モロッコとスペインはジブラルタル海峡を挟んで目と鼻の先です。高速フェリーで一時間です。隣同士の国なんですね、モロッコとスペインは。今を遡ること約500年以上前、1492年はコロンブスが新大陸を発見したとされる年でありますが、イスラム教徒とユダヤ教徒にとってはとんでもなくひどい年でした。というのもキリスト教徒によるレコンキスタが完成した年といわれているからです。カトリックキリスト教徒側から見れば約700年間に亘るイスラム教徒によるスペイン、ポルトガルつまりはイベリア半島支配に終止符を打ち、豚を食わないやつらをアフリカに追い返した栄光の年であるわけです。

Thursday, September 26, 2013

Fes Medina 複雑な構造をした1000年都市にあった複雑な構造の家にまつわ る話 その3

poor donkey by akaitori
poor donkey, a photo by akaitori on Flickr.
しかしながらそんな雑踏喧騒の昼間を抜け、夕日が沈むころになると徐々に涼しくなり心地良いゆったりとした風も吹いてきます。空と大地が夕暮れ色に染まって街の中央にある広場に市井の人々が三々五々集まりだし、「今日は何かおもしろいことあるかな」という顔して散策している時刻。各屋台が軒を並べ、羊肉を焼く匂いとそれに乗ってやってくるクミンの脳幹を刺激するいい香りがしてくるような夕刻の風景、いいですねえ、好きでしたねえ。その一場面一場面が一刻一刻が脳裏焼き付けられてしまうほど時の流れに力強さがあるんですね。

その広場の片隅に、裾のほつれた7分ズボンをはいて、棒切れを傍らに備え売り物の番をしている少し頭の弱いおじさんがいました。毎回定時になると2~3人のガキどもにからかわれるのですが、おじさんは待ち構えていたように、棒を頭上にかざしながら「このくそガキィ待てー!」と夕日に向かって追っかけてゆくんですね。なんというノスタルジックな夕暮れ時なんでしょう、たまりませんでした。おじさんのサンダルの片方の鼻緒が壊れているだけにどうしたってガキには追いつけないのです。ガキどももそのことは重々承知で毎回からかいに来るのです。広場に集まっている人たちの「またやってる」という感じで笑ってるどの顔にも夕日があたってそれはそれはタルコフスキー的なカットの長~いシーンとなって脳裏に刻まれてしまうのでした。米国人権委員会の人が見てたらすぐ派遣団を送ってくるでしょうね、「その人権抑圧をやめれ!」と。

Fes Medina 複雑な構造をした1000年都市にあった複雑な構造の家にまつわる話 その2

Fés - Médina by jboisard.photo
Fés - Médina, a photo by jboisard.photo on Flickr.
/ / /// 無秩序/// / /とは言いつつも、イスラム法によって、どこに公共施設が必要なのかとか、一般住宅の建て方や隣の家との境界から生じる問題の解決の仕方とか(たとえば雨水を隣地に流れ込まないようにしろとか)などきちんと決まっているようですけど、異文化から来て初めてここを訪れた人にとってはただただ迷路にはまり込むという感じでしょうね。

あっという間に迷ってしまう複雑に込み入った構造になっています。原理的には、シンプルな形を多様に組み合わせた結果による複雑さなんでしょうけど。主要な箇所にはマスジド(イスラム寺院)とハンマーム(公衆サウナ)とマドラサ(学校)とスーク(市場)があります。その他、作っているものによって街区が分かれております。即ち、真ちゅう細工地区、銀細工地区、木工細工地区、なめし皮製品地区、薬売り地区、香辛料売り地区、そしていわゆるスークといわれる肉魚野菜果物日用品なんでも売ってる地区があり、らくだの隊商隊が常宿としたフンドクあり、ジャッキー・チェンのカンフー映画しか上映しない映画館あり、どんな髪でもバリカン一本で仕上げてしまう床屋さんあり、そんなに音が割れるほどボリューム上げなくったっていいジャンと思うほど大音量でラジカセかけてるカセット売り屋あり、民族衣装を客にきさせて写真を取ってくれる写真屋さんあり、はぎれ屋さんあり、ビーズ屋さんあり、歯抜き士(決して歯医者ではない)あり、エジプトから出稼ぎに来ているおねえちゃんが踊るベリーダンスがメインの観光客相手のレストランあり、もう甘くて甘くて大変というお菓子ばっかり売っているお店あり、、コーヒー一杯またはミント茶一杯で10時間くらい粘っても大丈夫な喫茶店あり、ロバ君の蹄鉄交換屋さんあり、いわずと知れたじゅうたん屋あり、エピスリあり(フランス保護領時代に入ってきた雑貨屋のような店)・・・

他方、路上ではタバコ一本売りのじいさんあり、物乞いあり、いつ死んだかわからない鳥や左右サイズ不ぞろいの靴など「これ売ってんのかあ?!」と思わず聞いてしまいたくなるおじいさんとか、暗がりにただしゃがんでいるおばあさんとか、なんだか知らないけどののしりあってる胴の太いおばさんたちとか、珍しがって入り口からずーとついてきてるガキとか、屋台のこげたにおい、香辛料の匂い、生ごみのにおい、甘いような酸っぱいような変な匂い、強烈な香水のにおい、そしてなにより強烈な陽射し!!、何でもかんでもあります。これらが巻貝みたいな迷路の道にドバーッツ!と並びに並んでいるのです。どんどん万華鏡のように目の前を風景が回転していきます。

入り口からしばらく歩くともう前述のような雑踏と匂いと陽射しで頭がフリーズして、思考能力が著しく低下していきます。今まさに通り過ぎようとしている通りの様子と角を曲がったつぎの通りの様子が非常に似通っているため区別がつかず「あれっ?」と思って振り返ると今曲がったばかりの角をもう見失ってるという感じで、そしてアナタはもうすでに迷っています。あせるほどに思考停止状態が深まってゆきにどんどん迷路にはまり込んでいきます。そしてついに、「もうだめだ、わからん」なんて思いつつボーっと突っ立ってると、今度は後方から「アンダック!!(ほれアブねーぞ)」というおじさんの怒声と共に背中に家庭用生ごみを満載して突進してくるお目目のかわいいロバ君に激突または踏み潰されそうになってしまうという状況です。---いざとなったらもう身をゆだねてしまう、という力量がない人は本当に精神的に参ってしまうくらい日本的感覚から言うと何もかもが整然としていないところです。

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Fes Medina 複雑な構造をした1000年都市にあった複雑な構造の家にまつわる話 その1

Fes Medina by MB@Photography
Fes Medina, a photo by MB@Photography on Flickr.
モロッコのとある街で「釣りバカ日誌」と「教祖誕生」と「寅さん」映画の上映会を終え一服していたときのことでした。一人のモロッコ人が私に近づいてきました
「家を借りるつもりはありませんか」
「いいえ、いまラバトにすんでいるので・・・・」
「では、ちょっと見るだけ見てみませんか」

モロッコではよく見知らぬ人から、その場では即答できないような結構重要な話をいきなり持ち掛けられたりしました。このときの若い兄ちゃんは、身なりもきちんとしてるし言葉遣いも丁寧だし腰も低いしなかなかの男前でした。しかしモロッコの場合こういう人が一番危い場合があるんです。がしかし、、その遠慮がちでどことなく、おどおどとした感じが東北人ぽくて好感が持て、当方も暇だったこともあり、まあいいか、まあまあ信用できるほうかな、と、誘われるままついて行きました。

男が私に見せたいという家があるその街は1000年都市といわれています。イドリースという男がBC8世紀ごろ宗教的いざこざをのがれて西の辺境モロッコまでたどりつき自分の都をつくったことから始まっています。文部科学省歴史教育ではモロッコのイドリース朝というんであります。イドリースはシーア派イスラム教徒だったそうです。

なにせ1000年の街ですから、もう古いとか新しいとかではなしに石や漆喰で作られた巨大な遺跡のあちらこちらに人がドシャドシャと皆して住んでるという感じで、街中がただただ古いものだらけなのです。人に聞いても「カディーム(古い)」、「カディーム・ジッダン(うんと古い)」、「マーアレーシュ・カディーム・ジッダン(もうわからないくらいうんと古い)」のどれかしか言ってくれません。また古いだけでなく非常に複雑なのです。街の成り立ち自体が「節度のある無秩序」というか「秩序だった無秩序」という感じでルールはあるにはある、だけど好き勝手やる、というふうです。

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